Yan鐵ブログ ミニ報告書

鉄道がメインですが,それ以外もやってます。

2014年09月

近江鉄道220形電車

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自社の形式では初の冷房車となった220形です。嘗ての近江鉄道で
唯一のレールバスだった,LE10形の置き換えで生まれた車輌ですね。
今では ”これぞ近江の電車” と言えるくらいのステータスになっていますが
流用機器の老朽化と,17mという長さがネックで運用が減ってるそうな・・・。

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最初見た時は 「何というソッケないスタイルなんだ」 と思いましたけど
今じゃ17mの3扉車という事もあってか,妙に可愛く感じる車輌です。
地方私鉄でも,ありそうで無さそうなこのスタイルが意外と御洒落に見えます。
私が撮影できた稼動車は,この225番だけなんですが・・・。
(撮影は全て2007年の初冬に訪れたものです)

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彦根駅構内にはスノープローを付けた226が留置されてました。
冬季はラッセル車代わりで使用されてるそうですね。

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当時は未だこんな車輌も留置されてました。 懐かしいですね~・・・

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私的には上の500系や1形の方が,馴染みがあったりしてます。
当時は何も思わず,適当に撮ってただけなんですが・・・



私とカメラとの出会い(機種編)

私が初めて手にした一眼レフカメラは キャノンFT という機種でした。
それまではコダックのポケットカメラという物を持ってまして,小さな筆箱の
様な形状で,フィルムもカートリッジ式のハーフサイズのものでした。
今で言えばコンビニに売ってる使い捨てカメラみたいな精度のものです。

元々カメラと知り合うきっかけになったのは,鉄道ではなくスーパーカーでして
万博会場跡で大阪では初めての,大きなイベントだったと思います。
実物のスーパーカーを目の当たりにして,興奮気味で撮影してましたっけ。
しかし全体的にピントが甘く,暗い室内だと内臓フラッシュが弱すぎて
まるで心霊写真の様な出来栄えに(笑),がっかりした記憶があります。

中学生の時にお年玉で件の一眼を買う訳ですが,確か1万円ジャストでした。
昭和41年に製造された中古品で,当時でも10年以上前のカメラになります。
しかしレンズは50mmでF1.4と猛烈に明るく,一眼独特のバシャッという
シャッター音にシビレました。ただし当時の私にはカメラの知識が殆ど無くて
露出や絞り・シャッタースピードの関係など,チンプンカンプンで最初の3ヶ月は
失敗の連続で,フィルム代と現像代に小遣いを削られる日々でしたね。

まさにアナログ全開という仕様ですが,当時はこれが当たり前です。
キャノンの上位機種でオートフォーカスが出てましたが,高嶺の花・・・。
モータードライブなど経費を考えると怖くて使う気も起こりません(笑)。
こんなシンドイ経験をしたからこそ,デジカメの普及には感謝してます。
まさかカメラのデジタル化なんて,当時は夢のまた夢でしたからねぇ・・・?
デジタルカメラの使用が最初の方々は本当に幸せ者です。 
 

近鉄 御所線

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支線シリーズから今回は近鉄南大阪線の御所(ごせ)線を御紹介です。
開業は昭和5年で,近鉄の前身である大阪鉄道の今で言う子会社だった
南和電気鉄道が御所までレールを敷いたそうです。

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両線の分岐地点。左の2本が南大阪線,渡り線を挟んで残りの2本が
支線の御所線になります。それでは御所線へ入線して行きましょう。

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・・・とは言え,沿線は特に風光明媚という訳でも無くフツーです。
駅構内の一部は列車交換が出来る様に,複線の様になってますが
基本的に単線です。これも各支線で見られる極普通の仕様ですね。

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まぁ路線自体が,周辺地域の通勤・通学の為に敷かれたのが主体ですので
元々の鉄道の在り方としては何ら問題ない訳でして,これも特色の1つです。
ほかに葛城山へのアクセスとしても紹介されていて,春のツツジのシーズンには
結構な行楽客が訪れるそうで,阿部野橋から臨時列車が運行されてるそうです。

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全区間で5.2Kmしかないので,あっと言う間に終点の御所に着きました。
なかなか立派な佇まいですが,終点にしては随分と唐突な終わり方を
してるなぁ・・・と思ってたら,元々は五条・橋本まで延伸する計画だったのが
立ち消えになってしまい,中間駅だった御所駅で終わってしまったんだとか。

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私は最初は ”ゴショ線” と思ってたので,皇族に関係する場所なのかと
思ってたのですが ,近くを流れる葛城川に5つの瀬(流れが速く浅い場所)
があって,五瀬が御所に変わって行ったのが有力な説だそうです。
他にも御諸(みもろ)が訛って御所になったなど諸説があるんだそうで・・・。

しかしこの路線の駅名は変わったのが多いです。
尺土,忍海,御所・・・地名の由来を調べるだけでも面白そうです。
 

男の子の定番アイテム トミカ

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トミカは歴史が長いので,私が赤ん坊の頃からの遊びアイテムでした。
当時の男子なら必ずと言って良いほど,皆が数台は所持していたと思います。
私が最初に自分の小遣いで買ったのが,フェアレディZでした。確か茶色で
240ZGというタイプで,ライトケースに透明のカバーが付いてるやつでした。

他に所持車の中で覚えているのは,メタリックグリーンのマスタングマッハ1や
何故かピンクのロータスヨーロッパに,リンカーンコンチネンタルを持っていて
その何れも私のお気に入り車でした。室内は勿論の事,公園の砂場とかで
ガシャガシャいわせて遊んでたので,色は剥げてボロボロの状態でしたけど
トミカというアイテムはそう言うものだと思ってたので,特に気遣いは無かったです。
扉やボンネットが開くギミックがありながら,大変丈夫な玩具だったので
飽き性の私にしては,意外と長く玩具箱の中にあったアイテムでしたね。

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誕生日のプレゼントで,トミカパーキングという立体駐車場を買ってもらった
のをよく覚えています。画像の物とはデザインが違いますが,電動で最上階まで
上がって行って,螺旋状になった購買を駆け下りる機構が大好きで,何度も
遊んだ記憶があります。確か1階にはGSがあって,ハンドルを回すとチンチンと
音が鳴って針が回る給油装置が付いてたり,ジャッキで持ち上がる床で
整備が出来る機構など,当時でも結構凝っていた事に驚かされます。

高校生くらいまでトミカを50台近く持ってましたけど,親戚の子にあげたり
壊れて廃棄したりで,いつの間にか全部無くなってましたね。
今じゃ手に入らない車種もたくさんあったのですが,後の祭りという事で(笑)。

私の初プラレールはですね?

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突然ですが,皆さんの初プラレール車輌は何だったのでしょうか?
私は小学1年生の時に,国電の101系がファーストコンタクトでした。
画像は103系の高窓運転台車ですが,当時は未だ実車も101系が活躍
していて前面は丸い大きな一灯ライトで,グロベンだけの非冷房車・・・。
しかも何故か色は,関西には馴染みの無いエメラルドグリーンでした(笑)。 

これは実は私が好んで買って貰ったものではなく,親戚の兄ちゃんから
貰ったものでして, いわゆるお古というやつです。他に地下鉄丸の内線の
赤い有名な車輌と何故か鼻の頭が赤い(笑)新幹線があったのを覚えてます。ht012820
線路は段ボール箱いっぱいに,グチャグチャに入ってたのですが
踏切ありのトンネルありので,組んで行くと結構な規模のレイアウトになりました。
中でもヤードを構成できる扇状の分岐がたくさんついた,大型のポイントが
大好きでクネクネと車体が曲がって行く光景に,妙にリアリティを感じてました。

しかし私の場合はここから拡張も無く,また車輌も増える事はありませんでした。
子供のくせに,電池でビュンビュン走って制御できないのが不満だったのと(笑)
レールを片付けるのが凄く面倒だったので,意外と嵌らなかった様です。

結局最後は更に小さな親戚の家へ回される様に,転属されて行きました。
よく鉄道模型をしてる人は,最初はプラレールから入って順に格上げする
みたいな事を聞きますが,少なくとも私は繋がりは無かったみたいですね。

むしろその頃はトミカに嵌ってて,そちらは一大勢力となる訳です。
トミカの巻は次回の更新で綴りたいと思います。
 
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